南北朝時代、北朝年号の延文二年(1357 年)に建立された時宗板碑です。江戸時代の寺伝によると鹿角2万石の奇物とされ、いにしえに空海上人が地...続きを見る
この一里塚は七時雨山の西側にあたる牧野内にあり、眺望がとてもすばらしいです。鹿角街道の起点である盛岡城下鍛冶丁(盛岡市紺屋町)から十二里のと...続きを見る
荒屋一里塚は、荒屋新町の街から隠れるように木漏れ日の中にあります。山の斜面に鹿角街道が通っていたことから地形を巧みに利用して、左右の塚の大き...続きを見る
この一里塚は、鹿角街道の起点である盛岡城下鍛冶丁(盛岡市紺屋町)から約十五里のところに築かれています。塚が築かれた時期は江戸時代後期と推定さ...続きを見る
鹿角街道の起点である盛岡城下鍛冶丁(盛岡市紺屋町)から約十四里のところに築かれています。江戸時代後期に築かれたと推定され、両塚ともに半壊して...続きを見る
~堀切一村をごっそり湖にしようとした太郎~野駄・田中の住人八の太郎はマンダの皮剥ぎが商売。前森で仲間と作業中にイワナ(味噌田楽)の盗み食いを...続きを見る
殿様夫妻に食された松川御護沼の主のゴマウナギが、奥方の胎内を借りて再生、曲折を経て名湯松川温泉への湯治を口実に、再び御護沼の主に納まるという...続きを見る
七時雨のふもとに夫婦が住んでいた。子供が二人いて一人は先妻の子だった。ある日まま母は子供を連れて山へ登った。お日さまが、照りつける日だったの...続きを見る
寺田には雨乞い祈願に鰊(にしん)を供えるならわしがあり、次のように語り伝えています。「ある若者が七時雨山の権現さまサ雨乞いしたけズども、なん...続きを見る
岩手山は男ぶりのよい雄神で、姫神山と夫婦になったが姫神山はさほど美しくなかったので、岩手山は早池峰山を側室にした。このことを知った姫神山はや...続きを見る
八幡平市の天気予報はこちら