街道内の大きなマダの木の根元にひっそりと佇む地蔵菩薩は、旅の途中で亡くなった女性を供養する石地蔵です。お腹の部分に戒名、右面には没年月日、左...続きを見る
ここは、江戸時代まで、二戸郡と岩手郡の郡境でした。名前の由来には諸説ありますが、一つには、「峠に登る道は、屈曲がひどく、くるくる回りながら登...続きを見る
ここは、旅人の風、雨、雪の難儀を救う、避難・休憩の場所で、ときには、猛吹雪の一夜を明かすこともあったといわれています。また、寺田村、荒屋村の...続きを見る
冬の街道を進むうちに猛吹雪となり、疲労のため歩行困難となり倒れた飛脚の福松を気の毒に思った寺田の人々が、殉職の慰霊碑を立てたものです。福松は...続きを見る
分かれ道に、行き先を記した碑で、右かづの、左不動江の文字が彫られています。不動とは、安代にある不動の滝のことで、そこには桜松神社が祀られ、寺...続きを見る
マダ並木道の西側300mほどの新町牧野内にあります。右面の碑文には“正月十五日”と書かれています。旧暦の正月(3月)とはいえ、雪深い七時雨を...続きを見る
県北地方では、獅子頭のことをゴンゲンサマ(権現様)と呼んでいます。豊作を願う村人により、寺田側に、荒屋側にと日々向きを変えていたといわれてい...続きを見る
昭和53年8月21日、寺田新田の有志が、寿応山沢両寺と白坂観音堂跡に何か記念になるものを残そうとして観音堂を復元することを思い立ち、以前から...続きを見る
留の沢一里塚は、基点である盛岡鍛治丁(現紺屋町)から9里目、続く七時雨一里塚は、10里目に位置します。この里間は、七時雨山ろくを迂回する「車...続きを見る
西根・安代町境の峠に祀られた道中の安全や未知の世界からの悪霊や悪病を塞ぐための石を積み上げた塚です。同峠越えは街道一の難所で古図に「雪中牛馬...続きを見る
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