分かれ道に、行き先を記した碑で、右かづの、左不動江の文字が彫られています。不動とは、安代にある不動の滝のことで、そこには桜松神社が祀られ、寺...続きを見る
マダ並木道の西側300mほどの新町牧野内にあります。右面の碑文には“正月十五日”と書かれています。旧暦の正月(3月)とはいえ、雪深い七時雨を...続きを見る
県北地方では、獅子頭のことをゴンゲンサマ(権現様)と呼んでいます。豊作を願う村人により、寺田側に、荒屋側にと日々向きを変えていたといわれてい...続きを見る
昭和53年8月21日、寺田新田の有志が、寿応山沢両寺と白坂観音堂跡に何か記念になるものを残そうとして観音堂を復元することを思い立ち、以前から...続きを見る
留の沢一里塚は、基点である盛岡鍛治丁(現紺屋町)から9里目、続く七時雨一里塚は、10里目に位置します。この里間は、七時雨山ろくを迂回する「車...続きを見る
西根・安代町境の峠に祀られた道中の安全や未知の世界からの悪霊や悪病を塞ぐための石を積み上げた塚です。同峠越えは街道一の難所で古図に「雪中牛馬...続きを見る
南北朝時代、北朝年号の延文二年(1357 年)に建立された時宗板碑です。江戸時代の寺伝によると鹿角2万石の奇物とされ、いにしえに空海上人が地...続きを見る
この一里塚は七時雨山の西側にあたる牧野内にあり、眺望がとてもすばらしいです。鹿角街道の起点である盛岡城下鍛冶丁(盛岡市紺屋町)から十二里のと...続きを見る
荒屋一里塚は、荒屋新町の街から隠れるように木漏れ日の中にあります。山の斜面に鹿角街道が通っていたことから地形を巧みに利用して、左右の塚の大き...続きを見る
この一里塚は、鹿角街道の起点である盛岡城下鍛冶丁(盛岡市紺屋町)から約十五里のところに築かれています。塚が築かれた時期は江戸時代後期と推定さ...続きを見る
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