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鹿角街道  21 件

kaduko

鹿角街道はまだ雪の中です。 七時雨観光体験施設から車の走り峠までの約4kmを歩いてきました。 体験施設の駐車場は除雪が終り駐車可能ですが、染...続きを見る

sainokami

越戸地内の市有林内にあります。盛岡藩士である漆戸茂樹が藩主に従い領内を歩いたときの記録である「北奥路程記」の安政3年(1856)には、越戸に...続きを見る

nashinokitouge

安比川と米代川の分水嶺です。国界峠として、江戸期資料は「梨子木峠」と表示されています。旧荒屋村側は陸中国に属し、江戸時代の行政区は「福岡通」...続きを見る

madanamikimichi

濯木地籍の道を進み、荒屋新町の水源地である高清水(通称タカシ刃を抜けて、新町牧野組合監視小屋の下側にその並木道があります。安永9年(1779...続きを見る

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盛岡城下から荒屋(あらや)・田山を経て鹿角(かづの)に至り、さらに現青森県の田子(たっこ)・三戸に至る道筋を、鹿角道・鹿角往来と称しました。...続きを見る

kadunokaidou_1

八幡平市内を通る旧街道は、奥州道中の脇街道である「鹿角街道」で盛岡城下鍛治丁が起点です。主な里程は、田頭・向坂から始まり、山崎、野口、新田、...続きを見る

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街道内の大きなマダの木の根元にひっそりと佇む地蔵菩薩は、旅の途中で亡くなった女性を供養する石地蔵です。お腹の部分に戒名、右面には没年月日、左...続きを見る

kurumanohashiritouge

ここは、江戸時代まで、二戸郡と岩手郡の郡境でした。名前の由来には諸説ありますが、一つには、「峠に登る道は、屈曲がひどく、くるくる回りながら登...続きを見る

tasukegoyaato

ここは、旅人の風、雨、雪の難儀を救う、避難・休憩の場所で、ときには、猛吹雪の一夜を明かすこともあったといわれています。また、寺田村、荒屋村の...続きを見る

fukumatunohaka

冬の街道を進むうちに猛吹雪となり、疲労のため歩行困難となり倒れた飛脚の福松を気の毒に思った寺田の人々が、殉職の慰霊碑を立てたものです。福松は...続きを見る