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鹿角街道資源情報
鹿角街道資源情報
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鹿角街道にある歴史・文化資源、自然資源、レクリエーション資源、イベント・催事を紹介します。
貴重な歴史的資源が数多くあります。
南部手踊りは南部家26代当主信直公の時代に2年間にわたり凶作に喘いでいた領民の年貢納めを代官に免除させた次の年に大豊作になったことから、殿様...続きを見る
南部藩主である南部信直公が花巻の代官に命じ考案されたのが「田植え踊り」とされていますが、小屋畑地域に伝えられたのは明治5年ころに旧西根町山子...続きを見る
鎌倉時代に奥州の各地を遍歴していた山伏の一行が、現在の二戸市浄法寺に住み社を建立して伝播したのが始まりとされています。昭和初期まで素朴な民間...続きを見る
寛文年間から享保にかけての凶作、貞亨年間の岩手山噴火などで困窮していたころ、高橋西念という人が貧しさにあえぐ人々を救おうと念仏と剣舞を教えた...続きを見る
南部家が三戸に居を移した(16世紀)ころ、盛岡の関口(現愛宕町)に7人の芸人を住まわせ、伝統芸能を伝えたことに始まります。江戸時代末期、野駄...続きを見る
江戸時代初期、南部家の屋敷で殿の御前で踊ったのが始まりとされています。後に岩手山神社(上坊)で五穀豊穣、家内安全を祈って踊るようになりました...続きを見る
この神楽は、岩手山神社に伝わるもので、修剣道の山伏の集団によって伝承されてきました。江戸時代初期になって、盛岡城初代藩主南部利直公の肝入りも...続きを見る
文化年間に南部利敬公のお抱えの芸能集団「南部七軒丁」が普及した芸能の一つといわれています。大正末期に盛岡の行商人より田頭平笠地区に伝えられ、...続きを見る
江戸時代から踊られ伝えられてきたといわれています。明治初期に右衛門新田の遠藤彦左衛門らが踊ったころに書き残した「田植農虎巻」と田植之踊り興行...続きを見る
江戸時代に伝わり、黒森流の一派といわれ、踊りや太鼓は敏捷闊達を特徴とし、昔からお祝いごとや神仏の供養と祈願の行事として広く知られています。昔...続きを見る