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鹿角街道資源情報
鹿角街道資源情報
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鹿角街道にある歴史・文化資源、自然資源、レクリエーション資源、イベント・催事を紹介します。
貴重な歴史的資源が数多くあります。
ふるさとの寺の御廊に踏みにける
小櫛の蝶を夢にみしかな
名称
石川啄木 歌碑(ふるさとの寺の御廊に~)
よみ
いし...続きを見る
わが父は六十にして家をいで
師僧の許に聴聞ぞする
西根町平舘、大泉院の歌碑。啄木の父一禎は平舘出身。大泉院で仏門に入りました。ここには啄木の...続きを見る
たはむれに母を背負ひてそのあまり
軽きに泣きて三歩あゆまず
石川啄木の父、一禎は西根町平舘(現八幡平市平舘)の出身です。平館駅前にある歌碑で...続きを見る
一説には、承平三年(933年)に田山左近が御祖長根の麓に祠を建立し、天下泰平、五穀豊穣を祈願していたが、その後永正4年(1507年)6月19...続きを見る
田山先祓いは神楽から変化し派生したもので、田山稲荷神社祭礼の神輿渡御行列の先頭になり、舞いながら練り歩き扇や棒を持ちながら、太鼓、手平鉦、横...続きを見る
神輿を担ぎ、地域内をめぐり神楽舞として武家の守護神である八幡神を称え武士の戦う姿を模して、例祭の神輿渡御行列の先頭を舞い歩くことから、いつし...続きを見る
言い伝えによると地域の祖である関清兵衛、佐藤半助、杉本某、林本市兵衛などが兄川地域に宿場ができたことを記念して、兄川稲荷神社の祭典のときに先...続きを見る
天明3年(1785年)、横間地区の領民が飢餓で喘いでいるとき、法現という山伏が来て「五穀豊穣」と「悪病退散虫追い」を唱えたのが始まりとされて...続きを見る
南部手踊りは南部家26代当主信直公の時代に2年間にわたり凶作に喘いでいた領民の年貢納めを代官に免除させた次の年に大豊作になったことから、殿様...続きを見る
南部藩主である南部信直公が花巻の代官に命じ考案されたのが「田植え踊り」とされていますが、小屋畑地域に伝えられたのは明治5年ころに旧西根町山子...続きを見る