塞ノ神
越戸地内の市有林内にあります。盛岡藩士である漆戸茂樹が藩主に従い領内を歩いたときの記録である「北奥路程記」の安政3年(1856)には、越戸には三軒の家があり、峠には梨の木があったことを記しています。また江戸時代末期に鍛夷地(北海道)及び千島や樺太などを探検した地理学者でもあり、北海道という名称の名付け親でもある松浦武四郎の「鹿角日誌」嘉永2年(1849)には、「梨ノ木峠上り半り(里)下り半り(里)といえども遠し。峠二小き像あり。此處(処)鹿角郡二ノ戸郡との堺(境)也。標柱を建てり」と記されており、現在もこのように祠が二つ現存しています。
名称
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塞ノ神 |
よみ
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さいのかみ |
分類
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鹿角街道
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所在地
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越戸(市有林内) |
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